JAかながわ西湘 2021年10月号
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◆富士山噴火で氾濫2人の偉人が救世手を復旧。中国の水神である禹う王お(称号は文命)にちなんで文命堤(文命西堤、文命東堤)と名付け、堤を守るための祭りも行われるようになりました。祭りの際には、堤を守るために農民に、石を一つずつ持ってきて奉納するよう命じたそうです。文命堤を記念した石碑は現在でも福澤神社の境内と岩がります。ところが、1734年の大雨で瀬ぜ土手、大口土手が決壊、酒匂川1707年、富士山が噴火(宝永大噴火)。足柄平野には大量の火山灰が降り注ぎ、30~60㎝も積ったことから酒匂川の川床が上昇。雨が降ると、さらに川に火山灰が流れ込み、翌年の大雨では大量の砂が濁流となって押し寄せ、岩が流らがついに氾濫し、下流の村々に甚大な被害を及ぼしました。その後、土手を何度も修繕するも、雨が降るたびに砂が押し寄せ、決壊を繰り返したことで幾度となく、農民たちを苦しめました。そこで江戸幕府は1723年、治水・利水事業に詳しい田た中な丘きぐ隅をこの地に派遣します。丘きぐ隅は弁慶枠(丸太など木材を組み、中に河原の石を詰めたもの)を使い、1727年に岩が流ら瀬ぜ土手、大口土流ら瀬ぜ橋の上流側(山北町岸)にあゅう酒匂川九十間土手川ですが、天候が一変すると濁流へと変わります。かつては氾濫を幾度となく繰り返したことから、『暴れ川』ともたとえられていました。酒匂川を語る上で、この『暴れ川』を治めてきた先人の苦労は見逃すことはできません。追ってみました。普段は私たちに心の安らぎと潤いを与えてくれる清流、酒匂後編では先人が築いた治水の歴史から現在の水防対策までを ~シリーズ・酒匂川を探る~後編 か    川音川三角土手 う4ゅう川音川と酒匂川を合流させることで水の勢いを抑える文命西堤(岩が流ら瀬ぜ土手)文命東堤(大口土手)■三角土手 (松田町健康福祉センター隣) 今は、三角堤公園として住民の憩いの場になっています。向こう側が酒匂川です。特集先先人人のの知知恵恵がが生生ききるる治治水水

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