マスコットキャラクター
マスコットキャラクター(郷土の偉人)
JAかながわ西湘のマスコットキャラクター
なまえ | 西湘きんじろう |
---|---|
生年月日 | 平成18年9月1日 |
出身地 | 小田原市栢山 |
趣味 | わらじを編むこと、田畑の世話、読書 |
チャームポイント | つぶらな瞳、いつも背負っている薪 |
郷土の偉人 二宮尊徳(にのみや そんとく)
二宮尊徳(1787~1856)。江戸後期の農政家。通称金治(次)郎。独特の仕法で各地の農村復興を指導。至誠・勤労・分度・推譲を説き、報徳社運動として全国に展開。
二宮尊徳(金治郎) ~尊徳の教えは協同組合精神の礎~
二宮尊徳は天明7年、相模国栢山村(現在の小田原市栢山)の農家に生まれました。再三にわたる酒匂川の氾濫(はんらん)で田畑を流され、家は没落し、過労で両親は亡くなり、兄弟はばらばらに親戚の家に預けられました。朝暗いうちから夜遅くまで汗と泥にまみれて一生懸命働き、その間余裕ができればわずかな時間も無駄にせず勉強して、先人の教えを理解しようとしました。荒地を開墾して収穫を上げ、お金を貯めて質に入れていた田畑を少しずつ買い戻し、その結果、24歳までに一家を再興しました。
読書をするための油代を稼ぐために荒地に菜種を植え、たった一握りの菜種から7~8升を取り入れた経験や捨て苗を荒地で丹精こめて育て、秋には一俵の籾(もみ)を収穫したことにより、自然の恵みと人の力の素晴らしさを知るとともに、小さな努力の積み重ねが大切(積小為大)だと学び、これが後の行いや考え方のもとになりました。
尊徳は、生涯を世の中のためにささげ、小田原藩家老・服部家の財政再建をはじめ藩主・大久保忠真候の依頼により、分家・宇津家の桜町領を復興させるなど、自分の体験をもとにして大名旗本などの財政再建と領民救済、北関東から東北にかける各藩の農村総合的復興事業(仕法)を行い、素晴らしい成果をあげました。大飢饉(ききん)で農村が疲弊しきっていた当時、仕法を手がけた村々は600以上。多くの農村や藩を貧困から救い、独自の思想と実践主義で人々の幸福を追求し、数理、土木建築技術、文学まであらゆる才能を発揮した世界に誇れる偉人です。
尊徳は、藩の使用人や武士たちの生活を助けるために、お金を貸し借りできる「五常講」をつくりました。信用組合の発祥はドイツだといわれていますが、それより40年以上も早く信用組合と同じ組織を制度化し、実施していました。また、自然との共生を百数十年前に実践し、常に自然と環境のバランスを考えていました。大自然と人間社会の動きそのものから真理をつかみとった考え方・やり方は、時代を超えて数多くの企業や経営者の中に生き続け、現在も多くの思想が実践されています。
「何事も事足りすぎて事足らず 徳に報ゆる道の見えねば」
人は現在の生活環境が全て当たり前のことだと考えて、「まだ不足だ」「まだ不満だ」と訴える。しかし、天地、社会、親などに対して恩を感じても、徳を知り尊敬する人はなかなかいない。毎日いろいろな出来事があっても、現在無事に生活を送れることに感謝し、それを基礎としてわきまえた生活を計画し営んでいけるのであれば、必ず今以上の生活が送れるようになる。という普段忘れがちになりそうなことを強調した歌である。